「神への誠」=「お金」ではない

Nさんの陳述書では、「神への誠は何かというと、お金なのです」などと、全く事実を誤認した主張をしています。

 Nさんが心底そのように信じていたとしたら、残念ながら、ワールドメイトで何も学ばれていないに等しいと思います。宗教的人格を向上させる(人格陶冶)という、ワールドメイトで最も大切にしている教えを、Nさんは体得されていなかったということでしょう。

 実際には、ワールドメイトでは、神への誠とはどのようなことを指すのでしょうか…? 裁判資料から読み解いてみたいと思います。

 

 

 

==========以下、引用==========

 

    当教団が定義する「神への誠」とは、「人々の幸せを願って神に捧げる祈りや行動」を指します。これをお金であると特定したことは、ただの一度もありません。

 たとえば、当教団が主宰する神事の前には、日本各地の神社に、21日間あるいは42日間と通い、祈りを捧げるよう呼びかけています。その際、国家や世界の人々の平安や幸せを第一に祈り、個人的なことは2の次、3の次に祈るよう推奨しています。無論、そのように各神社へのご祈願を推奨したからと言って、当教団に寄付が集まるわけでは全くありません。

    また当教団主宰の「二大神事」として、古来神道で行われている夏越の大祓いを鹿嶋で、年越の大祓いを伊勢で行っていますが、これも誰もが御志ご随意(無料)から参加できるよう式階を設定しています。もしNさんの言うように、当教団が「誠=金」であり、金を積まないと神が動かないなどと皆を脅しているのなら、当教団で最重要と位置づけている二大神事において、わざわざ無料で参加できるようにするのは、大きな矛盾となってしまいます。もし、Nさんの言うように、金を積まねば神が動かないなら、無料で参加する人は神に背く極悪人という話になり、無料で神事に参加させる道を開いている当教団自体が、神の言いつけに背いていることになってしまいます。

 無論、実際にはこんな馬鹿な話はありません。「誠=金」などということがあり得ないからこそ、当教団は神事において会員が無料で参加できるようにし、一人でも多くの人々が参加でき、共に祈り、神と交流できる場を設けられるよう心がけているのです。

(ワールドメイト陳述書①  10頁)

 

==========引用終わり==========

 

 

 

 「神への誠」=「人々の幸せを願って神に捧げる祈りや行動」は、お金のあるなしにかかわらず、誰でも実践することができます。逆にいくらお金があっても、善良なる真心に基づく行動がなければ、神への誠を貫くことはできません。「神への誠」とは、お金とはまったく次元の異なる、純粋にして神聖な、人としての神なる部分であり、とうてい金銭と等価の価値で表すことはできないのです。

 ところで、ワールドメイトでは、多くの神事がお志ご随意で参加できます。神事に参加するということは、世界や日本の平和や繁栄を祈ることです。我がことを離れて「人々の幸せを願って神に捧げる祈りや行動」を、最重視しているので、お金があるなしに関わらず参加できるようになっているのだと思います。

 たいていの神事では、お志ご随意から申し込めるようになっており、「一人でも多くの人々が参加でき、共に祈り、神と交流できる場を設けられるよう心がけている」という事実こそが、ワールドメイトがお金とは異なる次元の価値観により、組織運営をしているという何よりの証明であるといえるでしょう。

 「ワールドメイトの金儲けのために利用されている」などという批判は、事実とかけ離れた中傷であることが、よく理解できると思います。

ワールドメイトの活動は多種多様

 ところで、仮に「深見教祖がその前世を、自らの権威付けのために利用している」というNさんの主張が正しいとしましょう。もし、権威付けのために前世を利用するとしたら、かっこよくて、偉そうな前世のみを発表するはずです。しかし、そんなことはありません。ワールドメイトは次の事実を挙げています。

 

==========以下、引用==========

 

    なお深見教祖は、自らの前世とする偉人達についても、手放しで賛美したりしていません。例えばダビデ王については「契約の箱を取り返した際、嬉しくて裸踊りをした人」、楠木正成や諸葛孔明については、「結局、至誠は貫いたが、志半ばで亡くなったのであり、その意味では中途半端な人」などと会員の前で公言しています。「自らの前世だからその人々を絶対肯定し自らの権威付けに利用する」というような心理操作を、全く行っていないことがお分かりいただけると思います。

 また、Nさんの書き方では、あたかも深見教祖が、歴史上の有名人ばかりを自らの「前世」として並べ立てているかのようですが、実際には名もなく社会の底辺で生きていた前世や、奴隷だった前世、行いが悪く地獄に落ちた前世なども会員らに公開しています。」

 

    会員を絶対服従させることが目的であれば、そのような告白をすることは、必要性が全くないばかりか、マイナスですらあるはずです。しかし深見教祖は、単純に実際に神示によってそうした前世を知り、そのことから何を学び、反省し、今をどう生きねばならないかを示すために、公開しているに過ぎないのです。だからこそ、底辺の人生を送った前世や、地獄に落ちたような前世も進んで公開しているのであり、会員を服従させるような内容にはなっていないことは明らかです。

(ワールドメイト陳述書①  9頁)

 

==========引用終わり==========

 

 非常に論理的で、まさにその通りと思います。

 Nさんが、自分の主張に添う都合の良い一部分だけをピックアップして、主張しているだけであるということが、よくわかる事例であると思います。

 

「神への誠」について・・・その定義

前述の通り、「神への誠」は「人々の幸せを願って神に捧げる祈りや行動」を指します。

 ワールドメイトの基本的な教えである「神に捧げる行動」について、裁判資料には、さらに詳細な説明があります。

 

 

 

==========以下、引用==========

 

先に述べたとおり、当教団では、「神への誠」とは「人々の幸せを願って神に捧げる祈りや行動」であると定義しています。

「神への誠=お金」ではありませんが、その意味で、お金(当教団では、寄付御玉串といいます)も神に捧げる誠の一種ではあります。人によっては「命の次に大切」というのも、社会通念上の一般常識でありましょう。しかしながら、神に誠を捧げるには、お金しかないというのは、あまりに浅薄皮相な宗教的解釈です。

当教団は、神仏に捧げる誠を表す手段として具体的に、「体施、物施、法施」があると説いています。

体施(たいせ)とは、体を使って奉仕することで、神への誠を表すことをいいます。黙々とお掃除をしたり、荷物運びをしたりする無償の奉仕活動を通じて、神への誠とするのです。

 

   また法施(ほっせ)とは、苦しんでいる人、悩んでいる人に法を説き、迷いから救うことを指しています。その人の幸せを神に祈って法を説くことは、より次元の高い宗教的人格の形成を促します。また同時に、相手の悩みを解消し、一過性でない幸せを相手に与えることができます。つまり法施とは、体施・物施に勝る高い次元の徳積みということができ、それゆえ当教団では、神に捧げる誠のうち、「法施」を最重要視しています。この法施の徳によって、人は施す者も施される者も、魂が死後にも幸せを享受できるからです。

 

   寄付御玉串を捧げる行為は、「物施」にあたります。奉仕活動をする時間もなく、人々に教えを説くこともできないという人、あるいはあらたまって神仏に自らの思いを捧げたい人などが、謹んで寄付御玉串を包み、神に捧げるのです。これは、対価代償を求めない寄付行為であり、喜捨であります。通常の神社やお寺、あるいはキリスト教の教会に、玉串を奉奠したり、お布施をしたり、寄付をしたりするのと何ら変わりのない、普通の宗教行為といえましょう。しかし、それは「神への誠」を表す手段のひとつでしかないのです。

(ワールドメイト陳述書①  1112頁)

 

==========引用終わり==========

 

 

 

お金以外の「神への誠」を重視していること

 「神に捧げる行動」は、具体的には「体施」「法施」「物施」に分けられます。ワールドメイトでは、そのうち、「法施」を最重要視しています。次に、「体施」、最後に「物施」の順番で大切であるというのです。

 

 

 

==========以下、引用==========

 

    もし、Nさんの主張するように、お金のみが「神に捧げる誠」とされるのならば、なぜ全国で14000名もの会員がエンゼル会に所属し、日々、「体施」としての奉仕活動や、「法施」としての布教活動や教化育成活動にいそしんでいるのでしょうか。彼らは、体施・法施が神に示す誠だと知っており、神仏が喜ぶ行動だと確信しているからこそ、そのように活動しているものです。仮に「神への誠=金」だと思っているのなら、すべての会員が単にお金を出すだけの活動しか行わなくなるはずです。

    総本部やエリア本部には専従職員(スタッフ)が常駐していますが、それ以外の155か所にのぼる全国支部は、ボランティアであるエンゼル会員によって運営されています。そして、年間5億円にものぼる家賃や共益費、光熱費、通信費など、一切の経費は全て当教団が負担しております。それは、支部における体施や法施の活動を通じて、会員がより深い宗教的人格形成をなし、ご神徳をより多く授かって幸せになり、より広く教えと救済の道が広まることを願っているからであります。

 毎日、全国支部で14000人もの人々が喜びと感謝をもって「法施」や「体施」にあたる奉仕活動や布教活動にいそしんでいるからこそ、当教団は運営されているのです。このような活動こそ、当教団の宗教活動の中心的な柱であり、実態であることは一目瞭然でありましょう。これらの事実をあえて隠蔽し、「神への誠は何かというと、お金なのです」と極論することは、当教団の信仰を冒涜し、貶める暴言であるといわざるを得ません。

(ワールドメイト陳述書①  1213頁)

 

 会員として必ず支払うことになっている金額は、会費として準会員が月々1200円、正会員の場合で2500円に過ぎず、これ以上は一切、ノルマや強制に類するものはあり得ません。Nさんがことさら主張するような、高額の式階はむしろ例外に属するものですし、もちろん一切の脅迫も強制も義務もありません。それらをもって当教団の中心的な宗教活動とするのは、どうしても無理があるといえるでしょう(同 13頁)

 

==========引用終わり==========

 

 

 

 ワールドメイトにノルマや強制がないのは、中にいる私たち会員にとって、あまりにも当たり前のことに思えます。しかし他宗教では、収入の何割かを寄付することが決まっていたり、寄付するように訪問されたりということもあるそうです。

 そういう他教団の実状をよく知っている方からすると、宗教にノルマや強制があるほうが当たり前だと思う方もいるのかもしれません。その意味で、「神への誠はお金」などとNさんが書くと、「ああ、○○教もそうだった」と思い浮かぶ方もいることでしょう。

 しかし、ワールドメイトでは、未だかつて一度も、ノルマや強制なるものがあった試しはありません。退会も自由、申し込む・申し込まないも自由の、自由で民主的なグループなのです。

 

 余談になりますが、当時のエンゼル会員数は14000人だったのですね。今では20000人以上はいたと思います。

 

 ところで、Nさんは別のところで、「私のおかげで、ワールドメイトでは退会者が相次ぎ、1000人以上がいなくなった」と述べていますが、少なくとも私の周辺で、Nさんが退会させた人など、一人も聞いたことがありません。1000人以上もいたら、当然大騒ぎになりそうなものですが、そうした話は一度も聞いたことがありません。Nさんの陳述書があまりに事実とかけ離れているために、会員で信じる人は誰もいないでしょう。もう少し真実味がある内容でないと、会員にとっては、まるで逆効果であると思います。

 むしろ、「Nさんは、ワールドメイトに謝罪したにもかかわらず、反省の色が見えないなあ」と思われるだけなのではないでしょうか。