ワールドメイトの教え〜世界の平和のために祈るすべての人々が救世主

「3千年に1度の大神人」の真意について (1)

 

 Nさんは、「3千年の神仕組」を『終末論』と位置付けようとして、ワールドメイトが深見東州先生を唯一の『救世主』と定義しているなどと述べています。ところが、以下の通り、これは全く事実と正反対なのです。

 

 


==========以下、引用==========

 

 Nさんは、当教団が深見教祖のことを「3千年に一度の大神人」と位置づけていて、当教団でいう「救世主」とは深見教祖のことだと断言しています。

 しかし、まず第一に、当教団では「救世主」=深見教祖としてはおらず、世界の平和のために祈るすべての人々が救世主である、と述べています。このことは、「一人の人が国を救うとか民族を救うとか、世界を救うなんてことはありえない。救うのは神様なのだ。そして、誠を結集して神を動かす、みんなこそがメシア」だと、『月刊ワールドメイト』第1号(1996年2月15日発行)の18頁~20頁にも明確に書かれている通りです。

(ワールドメイト陳述書① 4頁)

 

 ちなみにNさんの陳述書には、同じ『月刊ワールドメイト第1号』の5頁前に載っている、「3千年の神仕組」の説明部分が引用掲載されています。

 すなわちNさん自身、『月刊ワールドメイト第1号』に載っている、「みんながメシア」だという深見教祖の主張を当然に知っていながら、あえてその部分を隠蔽し、異なった主張にとれる部分を引用しているものです。

(同上)

 

==========引用終わり==========

 



 「世界の平和のために祈るすべての人々が救世主である」というお話はワールドメイトの常識と言って良いほどの、当たり前すぎるほど当たり前の教えです。いくらでも、ワールドメイト側は証拠を提示できるでしょう。


 しかも、Nさんが自分の陳述書で引用に使っている、「月刊ワールドメイト1号」にも、「みんなこそはメシア」だと書いてあるのです。Nさんはやはり、ワールドメイトが、「深見先生が唯一の救世主」などと言っていないことを承知した上で、無理矢理な論陣を張ったとしか思えません。

 

 

 

「3千年に1度の大神人」の真意について (2)

 

 ワールドメイト側は、さらに証拠を挙げ、その主張を続けます。

 

 


==========以下、引用==========

 

 第二に、確かに当教団では、深見教祖を「3千年に一度の大神人」と評しています。しかしそれは、教祖の霊能力や万能感を全面に出して権威付けたり、それによって人々を服従させるものとは全く異なります。その証拠に、深見教祖自身が、「人間信仰になってはいけない、教祖信仰になってはいけない」「私は神のお取り次ぎをしているだけです」等繰り返し述べ、信仰すべきは神であって、自分ではない旨を会員に対し明言しています。

 もし、教祖の万能性・絶対性によって信者をマインドコントロールしようとする教団であれば、こうした「教祖信仰になるな」「自分は神ではない」等の発言や、自らの欠点の吐露は致命的であり、あり得ない発言ではないでしょうか。

 以下は、『月刊ワールドメイト』第2号(1996年4月1日発行)の15頁の記事です。これは、深見教祖が同年2月の「節分大祭」で会員に語った話ですが、教祖信仰を厳に戒めている一例であります。

 


 絶対的な神が降りているから、絶対的にワールドメイトを崇敬せよとか、私を崇拝せよ、なんていう傲慢なものではないですよ。『我こそは絶対の神、我を崇めよ』なんてことを言う宗教もあります。しかし、たとえばお釈迦様は、そんなことは一言も言っていません。むしろ否定しているのです。(中略)

 私というものを崇敬するんじゃない。信仰とは、神様と自分なんだと。これが、宗教の原点というものです。

 それに比べたら、『私は釈迦の生まれ変わりだ。だから私を絶対者として崇拝せよ』などという宗教が、いかに間違っているか一目瞭然です。

崇敬する対象は、人でも組織でもなく、大宇宙のスの神です。本物の宗教者はみな、次元こそ違え、形ある人間や像などではなく、より真実なるもの、より神なるものを信仰対象にすることを教えているのです。(中略)

 他宗教で、一人の教祖や形ある何かを拝み奉る、という習慣がついている方は、拍子抜けするかもしれません。しかし、むしろこれが、本来の宗教の在り方なのです。(中略)

 私たちは、そういう神仕組の仲間なのです。だから私にも、『ハハ―』なんて拝むようなことはいりません。」(「月刊ワールドメイト第2号15頁」より)

 


 全会員に配布されている月刊誌のこの記事を見れば、当教団が、Nさんの主張するような、教祖の万能性を前に立てて信者をマインドコントロールする教団でないことは明らかです。

(ワールドメイト陳述書①  56頁)

 

==========引用終わり==========

 



 なお、「崇敬する対象は、人でも組織でもない(もちろん深見先生ではありません)」というお話は、教学冊子や、エンゼルビデオ教典などで繰り返し述べられており、上記月刊誌も当時の全会員に配られていますし、誰でもエリア本部等で読むことができると思います。

 

 

 

 

「3千年に1度の大神人」の真意について (3)

 

 無論、ワールドメイトで、深見先生を「3千年に一度の大神人」と、表することはあったと思います。しかし、会員ならば誰でも知っているとおり、その意味とニュアンスは、Nさんが主張するものとはかけ離れているのです。ワールドメイト側は具体例を挙げ、次のように述べます。

 

 


==========以下、引用==========

 

 当教団の講話会では、深見教祖自らがギャグを連発したり、今年9月に行われた、会員らが開催する「関東文化祭」にも気さくに参加し、自らニワトリの真似等のパントマイムを演じて、会場に爆笑を呼んだりしています。これらは、教祖が自らを権威付けして妄信させることとは正反対であり、むしろ、一般的な教祖に抱く観念を打ち壊されるもので、権威付けを目的とするならば、致命的行動であるはずです。(ワールドメイト陳述書① 6頁)

 

==========引用終わり==========

 

 


 深見先生が権威付けなどする必要がないことは、会員なら誰もが同意するでしょう。多彩な分野でゆるぎない実力が備わっており、権威付けなどする必要もないと思います。さらに、偉そうぶったりするのを嫌い、いつも謙虚で気さくにギャグを連発されたり、いつでもいち会員のことを気遣われたりなど、人間として最も大切な人格の部分が感動的なほど素晴らしいのです。


 いつも楽しく明るい、そして人一番優しくて慈悲深い深見先生を見るにつけ、「だから、やっぱり3千年に一度の大神人」なのだと会員は実感するのです。

 

 Nさんの主張を読んで、強い違和感を感じるのは、Nさんの発言と実際のところのギャップが、あまりにも大きいというか、むしろ正反対であるからなのだと思います。

 

 

 

「3千年に1度の大神人」の真意について (4)

 もっとも、Nさんの主張には、「3千年に1度の大神人」という呼称の、何がどう問題なのか、一切の説明がありません。ですから、ワールドメイト側の説明を見てみたいと思います。

 


==========以下、引用==========

 

 深見教祖が「3千年に一度の大神人」というのは、神示によってそのように評されたものを紹介しているのであり、実際にそうした神示が降りたからそう公表したに過ぎません。   (ワールドメイト陳述書①  6頁)

 

 深見教祖がそう発言したからと言って、あたかも深見教祖が会員を騙しているかのように記すのは誤った見方です。まして、こうした宗教的主張を行うことが、荒唐無稽であるとか、カルトであると主張するのは、宗教をすべて消費者問題として捉えるが如き暴論であり、あまりにも短絡的に過ぎます。教祖が神霊能力を持っていることが不審だとか、カルトの定義だと言うならば、キリスト教(イエス)も仏教(釈迦)もユダヤ教(モーゼ)も、カルトとして否定することになってしまうでしょう。  (同上)

 

 当教団は自らの教義を他に押し付けるような真似はしませんし、信じたい者が信じればいいと考えて、「来るもの拒まず、去る者追わず」の神社神道の精神を創立以来貫き、現世肯定型の宗教のあり方を貫いています。当教団が信念に基づいて発表している内容について、荒唐無稽であるように書き、自らの意見と合わないから「カルト」であるかのように書くのは、宗教に対する冒涜と偏見以外の何物でもありません。

(同上)

 

==========引用終わり==========

 


 Nさんは、「3千年に一度の大神人」の上記真意を理解されぬまま、荒唐無稽だとか信じられないとか述べていたのでしょう。まあ、ワールドメイトの教えは深遠で裾の広がりが大きいので、興味のない方にとっては、理解の範疇を超えることもあるでしょう。「学んでも学んでも学び尽くせないほど、教えの奥深いところがいい」とか、「従来の宗教の既存概念にはない、楽しく明るいところがいい」とか、そのようにワールドメイトを気に入っている人が、会員を続ければいいだけの話だと思います。

 ワールドメイトで、教えを押し付けられたことはありません。信じたい者が信じればいいと考えて、「来るもの拒まず、去る者追わず」の精神を貫いていることは、会員なら誰でも知っています。ワールドメイトが信じられないなら、やめればいいのです。

 しかしNさんは、ワールドメイトでは常識とされる教えを、見たり聞いたりしたことがあるはずなのに、よく理解したり学んだりされることもなく、一方的に全否定しているようにしか思えません。ワールドメイトは、日弁連の基準から見ても、「反社会的ではない」という基準を遵守している団体であるのに、Nさんは、「カルト」「マインドコントロール」などとショッキングな単語を意味ありげに使用して、誹謗中傷しているだけに思えます。そして、結果的に、事実と正反対の結論を主張しているのです。

 ワールドメイトの会員なら誰でも違うとわかりますが、もしワールドメイトを知らない方が、Nさんの記述を読んだらどのように思うでしょうか。ワールドメイトについて、大きく誤解するのではないでしょうか。

 Nさんは、事実と異なる記述をしたことを自ら認め、裁判でワールドメイトに謝罪をしたはずです。それなのに、いつまでもこうした誤解を招きやすい文書を、ネットに掲載し続けている者の行為は、極めて悪質な意図に基づく行為であると思わざるをえません。

 

 

教祖の前世について (1)

 先の点と関連しますが、Nさんの陳述書の主張のひとつに、「深見教祖が前世を公表することで、その威を借りて会員を服従させようとしている」というものがあります。これもまた、会員なら「は? なにを言っているのだろう」と拍子抜けしてしまうほどのこじつけです。ワールドメイト側はこの点に関しても、裁判資料で丁寧に説明しています。

 

==========以下、引用==========

 

深見教祖は、前世が偉人であることを理由として大言壮語したり、深見教祖に絶対服従させたりなどしていません。むしろ深見教祖は、そうしたことを厳に戒めています。

例えば深見教祖は、1996414日の関東定例セミナーにおいて、前世についての質問に答えて、以下のように述べています。(中略)自分の前世が偉大だから今の自分を信ぜよとか、大言壮語するとか、そういう宗教家は本物ではないと明言しているのです。

 

    「自分の前世はこうだから」「私は偉大な人間だから」信じてついてこいとか、救い主なんだとか、我こそはなんとかの生まれだと言って、自分の前世を言うことによって大言壮語する宗教家は、本物じゃないと思いますね。(中略)

 誰でもが信じるような、才能と能力と足跡と霊格とを兼ね備えていたら、なるほどそうだろうなと。さもありなんと言えますよ。ところが、誰が考えてもおかしいなっていう人が、もう、そう言うんですよね。我こそはーっ、なんて。聖徳太子の生まれ変わりとか、いっぱい何人か、僕も会ったことはありますよ。なんとなく風貌はそうなんだけどね、それを感じさせるような、霊格、文才、政治力、語学力、何も無いですよ。何を根拠に言うのかね。前世を語ることによって大言壮語して、自分の値打ちを上げようとしてるだけのことです。だから、ほんとに素晴らしい前世ならば、素晴らしいことをしてみたらいいわけ、今世ね。今世何をするかが大事だ。だから、前世鑑定なんかでも、僕は良く言ってました。素晴らしい前世だっていうことが判ったら、自分にはそれだけの才能が秘め隠されておるんだから、自分に自信を持って、前世にあった学問とか、信仰とか、芸術の素養は受け継いでいるわけですから、芸術を磨こう、信仰心を磨こう、学問を磨こうと。(中略)

 前世について、一言でも語ったら、宗教家じゃ無くなるかって言うと、そうじゃありませんので。語り方。何が目的として、語ることはどういう目的でどういう態度で語ってるかが、問題でなんであって」(1996414日「関東定例セミナー」より)

 

   このように深見教祖は、前世の威を借りて人を服従させるような人物には全く価値がない、という旨を会員に折にふれて伝えています。

(ワールドメイト陳述書①  78頁)

 

==========引用終わり==========

 

 ワールドメイトは、権威主義とは正反対の民主的なグループであると思います。その実例の最たるものが、深見東州先生だと思います。他教団から来た方が、定例セミナーなどで深見先生と会い、まずびっくりするのは、「こんな気さくな教祖さんは、見たことがない」ということだそうです。私も同感です。教祖であるのに、率先垂範で参加者一人ひとりのことにいつでも気を配っておられるのです。深見先生はいつでも、一奉仕者であり、神様のお取り次ぎ者であると常々おっしゃっています。Nさんもそのことをご存じのはずですし、実際、上記のようにセミナーでのお話にもある通りです。

教祖の前世について (2)

 ところで、仮に「深見教祖がその前世を、自らの権威付けのために利用している」というNさんの主張が正しいとしましょう。もし、権威付けのために前世を利用するとしたら、かっこよくて、偉そうな前世のみを発表するはずです。しかし、そんなことはありません。ワールドメイトは次の事実を挙げています。

 

 

==========以下、引用==========

 

    なお深見教祖は、自らの前世とする偉人達についても、手放しで賛美したりしていません。例えばダビデ王については「契約の箱を取り返した際、嬉しくて裸踊りをした人」、楠木正成や諸葛孔明については、「結局、至誠は貫いたが、志半ばで亡くなったのであり、その意味では中途半端な人」などと会員の前で公言しています。「自らの前世だからその人々を絶対肯定し自らの権威付けに利用する」というような心理操作を、全く行っていないことがお分かりいただけると思います。

 また、Nさんの書き方では、あたかも深見教祖が、歴史上の有名人ばかりを自らの「前世」として並べ立てているかのようですが、実際には名もなく社会の底辺で生きていた前世や、奴隷だった前世、行いが悪く地獄に落ちた前世なども会員らに公開しています。」

 

    会員を絶対服従させることが目的であれば、そのような告白をすることは、必要性が全くないばかりか、マイナスですらあるはずです。しかし深見教祖は、単純に実際に神示によってそうした前世を知り、そのことから何を学び、反省し、今をどう生きねばならないかを示すために、公開しているに過ぎないのです。だからこそ、底辺の人生を送った前世や、地獄に落ちたような前世も進んで公開しているのであり、会員を服従させるような内容にはなっていないことは明らかです。

(ワールドメイト陳述書①  9頁)

 

==========引用終わり==========

 

 

 非常に論理的で、まさにその通りと思います。

 Nさんが、自分の主張に添う都合の良い一部分だけをピックアップして、主張しているだけであるということが、よくわかる事例であると思います。

教祖の前世について (3)

 無論、前世を信じるか信じないかは、つまるところ、信仰の問題です。前世の存在を認める宗教も、認めない宗教もありますし、信じたくなければ無理に信じる必要はありません。大事なのは、宗教的人格づくり(人格陶冶)にどう活かし、向上していくかという、ただ一点なのだと思います。

 「前世をどうとらえるか」について、ワールドメイト側は詳しく自らの立場を説明しています。先述の深見先生の講義を敷衍し、補足するものです。

 私自身、つい感動して資料を読みふけってしまったので、以下にそのまま採録いたします。

 

 

 

==========以下、引用==========

 

   その人がどんな前世であったかを、科学的に証明することは不可能です。しかし会員が、深見教祖の前世を信じるのは、深見教祖が実際に努力して磨いている才能が、深見教祖の言う前世を彷彿とさせるからに他なりません。

   能楽師範の免状を持つ人間が、茶道の師範であり、華道の師範であり、大東文化大学の書道師範でもあって、絵で有名な求龍堂に認められて画集を出し、中国政府認定の「国家一級美術師」となり、書は大英図書館の永久収蔵になり、その人間が46歳から武蔵野音楽大学を出てオペラ歌手として舞台に立ち、さらに京劇も演じる…などという例を、実際私は深見教祖の他に見たことがありません。それが、芸術を専業とする人間ではなく、宗教の教祖であるというのは、もし深見教祖を知らなかったら、到底その存在を信じられなかったでしょう。言うのは簡単、批判するのも簡単ですが、ではやってみろと言われて、即座に能でも京劇でも舞え、オペラでも歌え、書でも絵でも揮毫し、宗教のことも福祉のことも瞬時に語って人を頷かせる力量を持つ人物を、私は他に知りません。

   当教団では、すべての会員が「万能の神人」になることを目標としています。そして深見教祖自身、万能の神人を目指している途上である旨公言し、口先や教えだけでなく実際に上記のような数々の能力を磨いています。前世を言って服従させるのではなく、実際に今生きている深見教祖自身が、人一倍努力して磨いている姿が、その前世を彷彿とさせ、また「我々と同じ人間である深見教祖が、あれだけ出来ているのだから、私たちにも神人合一できるかも」と、会員が結集する理由の一つとなっているのです。深見教祖が万能の神人のモデルであるという所以です。

 

   宗教の道にも、芸術の道にも、学問の道にも終わりはありません。ですから、道を目指す以上は誰もが永遠に発展途上であり、ゆえに深見教祖自身、常に努力して向上を目指しているのです。道元禅師は「衆生本来仏なりと言われているのに、なぜさらに座禅して仏になれと言うのか」と悩み、その末に、「座禅をして修業し向上を目指している、その姿こそが尊い仏性の顕現なのだ」と大悟しましたが、当教団に於いても同様で、常に向上を目指す姿こそ神性の表れと捉えています。深見教祖は、一つの事も成し遂げられない人のレベルから見れば、既に「万能の神人」と言えますが、しかしさらに高いレベルの「万能の神人」を目指し続けるという意味で、永遠に未完成なのです。そのように、常に努力を続ける姿とその結果としての多様な能力が、会員らのモデルとなっているのです。

(ワールドメイト陳述書① 89頁)

 

==========引用終わり==========

 

 

 

 そして、ワールドメイト側はこう締めくくります。

 「そういう努力をする姿に人がついて来るというのは、洗脳やマインドコントロールで騙して、囲い込むが如き卑劣な行為とは全く異なるもの」であり、無論「『教祖の万能感で洗脳する』という詐欺的ニュアンスとも全く違う」(同上)と。

 全くその通りだと、深く頷くばかりです。実際そうなのですから、議論の余地がありません。